下衆な俺の内側を認める

自分の内側にある強い想いで行動しなければならない。他人にどうこう言われるわけではなく、自分がこうしたいと強く思うものでこそ、人間最後まで踏ん張れる。というようなことは、良く聞くことで、俺も色々と自分自身の情熱の源泉はどこだろうと思って、色々と探索してみた。

結果、やっぱり、あの人に喜んでももらいたいとか、あいつを見返してやりたい、あの人に褒められたい、女にモテたい、あの子を口説きたい、こんなものばかりが出て来てしまう俺。結局、自分の情熱の源泉には、他人の目というものがデフォルトであるような気がする。

だから、俺自身の内側にあるものは、他人の目によって突き動かされているわけ。それって、最後まで踏ん張れない典型的な人間のパターンじゃないのかなと思う。

知り合いの起業家なんかは、世の中をより良くしたいとか、業界を変革してみんなを幸せににしたいとかを本当に願って語っているようにも思える。そこに、他人の目はない。もちろん俺だって、そういう想いがないわけではないけど、その願いが実現されれば俺にとって大事だと分類されている世間から賞賛されるだろうなぁという算段がどこかにある。

そんなことでね、なんというか、俺は、自己啓発本とかリーダーシップの本に記載されているセオリーに反しているんだよ、その人間性が。だから、無理して、気張って、一丁前なことばっか言って来て、結局ダメなの。だから、そんなセオリーなんて関係なく、俺は俺の欲求に従ってやってみるっきゃないと思う。